ねこじま式!勉強法ぶろぐ

英語の先生による学習法ぶろぐ

空気を読んで人種差別をしてしまった話

 

今日は珍しく、思ったままの文体で、思ったままのことを書いてみようと思います。

 

 

 

昨日、本当にショックなことがありました。

 

素敵だと思っていた留学生の外国人2人が、人種差別をしていたこと。

 

本当に本当にショックでした。

 

でももっとショックなことは、私もその空気に合わせて一緒に人種差別をして笑ってしまったこと。

 

それによって、今まで「絶対色眼鏡で人を判断しない」って国際交流をしてきた私自身を、裏切ってしまったこと。

 

 

私は国際交流が好き

昨日は、ひょんなことから仲良くなった留学生2人と遊んでました。

 

それぞれの国の話とか、文化の違いについての話をたくさんして、本当に楽しい時間でした。

 

たとえば、おいしくないのに「おいしいね」っていうのは、日本では「本音と建前」で、相手への配慮から行われてるというのが一般的。

 

一方でイギリスでは、それは皮肉として考えられて「fuck you」みたいな強い言葉以上に攻撃的なんだとか。

 

私、こういう話が大好きなんですよね。同じ物事がそれぞれの国で違う解釈をされることを知ったり、世の中に正解がないと知ることが。

 

それを知るのが大好きだから、私は国際交流が好きなのだと思います。

 

 

昨日のこと 

そんな楽しい時間を過ごしてたら終電を逃してしまい、3人で飲みに行くことになりました。

 

お店を探して歩いてるとき。

 

「そういえばこないだの画像面白かったよね!」「あれはやばい。思い出しても笑える!」って友達2人が、腹をよじりながら話し出して。

 

私が「なになに!?」「私も知りたい!」って聞いても教えてくれなくて。

 

多分、友人2人とも男の子だったから、どうせ下ネタの類いだろうと思ってて。

 

「教えて!」「君には言えないよ(笑)」そんなやりとりを長らくした後に「じゃああそこのバーで飲みながら教えるよ。」ってついに、言ってもらえました。

 

 

差別は突然に

バーの席について「で、その画像は!?」と聞いて、見せられたのが人種差別的な画像。

 

OLEOっていう黒いビスケット白いバニラが挟まれたお菓子があるんだけど、

 

黒人の子と白人の子が屈託のない笑顔で笑ってる写真に、そのお菓子の「OLEO」ってロゴが入った写真でした。

 

私はもちろん、何が面白いのかもわからなかったし、瞬時に嫌だなって思いました。だけど、友人二人の「どうだ!?こいつにジョークは伝わるのか!?」っていう期待を勝手に読んで、笑ってしまったんです。

 

そこまで「画像見せて」「君には見せられないよ」って溜めに溜められた空気の流れもあったと思います。(そう、私、こう見えて空気読めるんだゾ)

 

それからは私にとって地獄の時間でした。「こいつはこの手のジョークが通じる!」と思ったのか、次々とスマホに保存されてた人種差別系の面白画像を披露して笑い出して。

 

アフリカ人とか、イスラム教徒とか、中国人を馬鹿にしたようなコラージュ画像。

 

 

 

わたしは常日頃、色んな国の人と仲良くなって、色んな国の文化を学んで、今まで培ってしまった偏見を取っ払って、新しい学びを得たいと本気で思っていました。

 

関わったこともないし学んだこともないのに、知らない文化や人種や宗教を馬鹿にすることは一回もしないようにしていたし

 

色眼鏡で、どこかの国の人種や宗教や考え方を理解しないことが本当に本当に本当〜に大嫌いでした。

 

だから、こんな風に人種や見た目だけで人を馬鹿にすること、初めてしてしまって。

 

一枚目で「差別画像の面白さがわかる」ふりをしてしまった私は、次々と出てくる写真に合わせて笑うしかなくて。

 

たまに英語でオチが書いてあるやつは「これは難しくてわかんないな。」とか返事をしたけど、基本的には全部合わせて笑いました。

 

 

年下の店員さんにハッとさせられる 

そんな様子を見て、バーの店員さんが近づいてきて。「なんか面白いものがあるの?見せて見せて!」と。店員さんは私より若そうな日本人の女の子で。

 

そして友人が、笑いながらスマホの画像を見せると、一言。

 

「あぁ、これは笑えないねぇ。」

 

友人たちは「あの女の子、変なの〜。」みたいな反応の後、気にせずまたいろんな画像を私に見せて笑いを取ってきたんだけど

 

わたしは、その女の子がかっこよすぎて、羨ましすぎて、自分が恥ずかしすぎて、もう本当に今すぐ立ち去りたくなりました。とにかく、この話をもう辞めにしたかったです…

 

でも、今更言い出せなくて、見せられるたびに笑っていました。

 

友人は、自分の国(白人圏)にはこんな裏文化が沢山あること。移民の人が知らない裏サイトなどが沢山あること。自分はお父さんとこういう画像を見て笑っていることを教えてくれて。

 

全部ショックでした。

 

日本にも、たしかに人種差別のサイトはたくさんあるし、そういうのを面白いと思ってる人が沢山いることも知ってます。

 

でも、あんなに頭が良くて面白くて素敵だと思って、今も違う言語を学びに留学してる彼がそんなことを言うのは、ショックでした。父親とそんな話をしてるのも、本当にショックでした。 

 

 

差別は身近に 

そして皮肉にも、私は彼の人種を差別しそうになってしまいました。

 

「やっぱり日本人ってモラル高いのかもな。私の周りでこんなので笑う人いないもの。彼の国、お父さんもこれを笑うってどうなってんの。」って真剣に思いました。

 

でもその考え方が彼と似ていることに気づいて、それは自分への嫌悪に変わりました。

 

なんとか違う話がしたくて、おつまみのわさび味のクラッカーを片手に「二人はわさび食べれるの?」なんて話題転換をしたら、やっとその話は終わりました。

 

すでに酔いは冷めてたし

 

そのあとの話は何一つ楽しくなかったです。

 

そこまでいろんな話をして、全部楽しくて、幸せで、最高の時間で、2人のことを好きだと思えていたから余計に。

 

その友人の、日本人の私と積極的に交流する姿勢に、留学当時の自分を重ねて応援していたから、余計に。

 

 

私が許せなかったこと 

そのあとは、友人の話を聞き流しながらずっと後悔と戦っていました。

 

今日は飲みに行く前に帰ればよかったな。そしたら彼らの嫌いな部分を知らなくて済んだのに。

 

いやむしろ、今日遊ばなきゃ良かったな。そうしたらこんな気持ちにならずに済んだのにな。

 

…いや、問題はそこじゃないか。

 

私が一枚目の画像を見たとき「これは笑えない」って、バーの店員さんと同じこと言ってれば。空気なんか読まなければな。

 

そしたらあのあと永遠と画像を見せられることも、それに対して無理して笑うことも、彼らに失望してしまうこともなかったのにな。

 

自分の信条を裏切ってしまうこともなかったのにな。 

 

 

 

ショックの理由は、好きだった彼らが人種差別をしていたこと以上に

 

自分の理想と、自分の考え方と、全く違うものにノーと言えなかった自分と、

 

それによって、今までの自分の生き方を、蔑ろにしてしまった自分でした。

  

 

今まで私が意識し続けて来たこと

私は日々、どうしたら差別とか偏見とか、そもそも"○○人=○○"って考え方が世の中から無くなるんだろうって思って生きてきました。

 

多分、その意識は誰よりも強いです。

 

これには、2ヶ国留学中に本当に色んな国の友達ができて、親切にされた経験が響いています。

 

自分が無意識で見下してたかもしれない国の人(東南アジア人とかアフリカ人とか経済力が日本より劣る国の人)に、優しくされたり、彼らの尊敬すべき考え方を学ぶ度、自分が無意識に蓄積して来た今までの偏見に気づきました。

 

絶対に、人種や宗教や見た目で判断したくないなって、思いました。

 

そして、オーストラリアに留学をして、多文化共生で豊かな大国を目の当たりにしたとき、さらにその想いは強まりました。

 

オーストラリアはマルチカルチャーの国で、アジア人の顔をしたオーストラリア人、イタリア人の親を持つオーストラリア人、こんなの一例だけど、純粋に○○人って言えない人が沢山いました。 

 

そんな国にいたら、今までの「○○人」って考え方は崩れました。○○人って概念がどこから来るのかわからなくなりました。血筋なのか、行政上の手続きなのか、文化の共有圏なのか。

 

顔や見た目も、文化も宗教も、本当に多種多様だったから。

 

そんなオーストラリアは、マジョリティにとってのハッピーではなく、全体のハッピーを追求して、

 

移民も、留学生も、西洋の顔立ちの人も、アジアの顔立ちの人も、南米の顔立ちの人も、原住民も、みんなにとって魅力のある国を目指していました。

 

それは、オーストラリアという国が移民で成り立ってるから。外から来た観光客や移民を受け入れることで、豊かになって来た国だから。人種の多様性を、前向きに「自国の文化」に昇華してる国だから。

 

留学は、大学3年生のたった半年だったけど、私の中での学びは本当に本当に大きかったです。

 

色んな違いを認識した上でも、それを前向きに受け入れて共生して、そのおかげで豊かになってる国を知って。

 

世界中の色んな国の、色んな人種の、色んな宗教を信じる人と、仲良くなって。

 

留学をしてから、差別や偏見を本当にしたくないと思うようになりました。無意識に感じてしまうステレオタイプすらとも、戦いたいと思いました。

 

 

 

それからいままでずっと、自分の理想に近づける行動を取ってきたつもりです。

 

積極的に色んな国の色んな人種と交流を深めてきたし、

 

その違いに目を向けないのではなく、違いを学んで、その違いを面白いと考えるように、考えてきました。記事の冒頭に書いた「おいしくないものをおいしい」と言ったときの捉え方の違いとかもそう。

 

日本に生きてきた中で、自然と身についてしまった色んな偏見を打ちこわしたくて、それに勝ってきました。

 

いろんな国のいろんな友達が出来るに連れて、その人たちが生きづらくなるようなことや考え方は絶対したくないなと思いました。

 

そんな私にとって、今回空気を読んで人種差別をして、偏見のままに人を見下し笑ったことは、本当に、なんというか、自分としてもショッキングな出来事でした。(自分の言動で自分にダメージを感じているのでした。)

 

大げさに書いてるわけじゃないです。その証拠に、一日たっても後悔が止まらず、だらだら未練がましくこんな文章を書いてます。

 

今回の経験は、他の人にとっては多分ここまで辛い経験にならなかったと思います。ちょっと嫌な気持ちになるくらいで済んでたと。

 

でも、わたしは留学以降、自分が意識し続けてきた、大切にしてきたモットーを破ってしまったから、本当にもやもやが止まらなくなってしまいました。

 

 

今後のこと

でもこのブログに書いてみて、この経験を、今後の学びにしよう〜と思えました。

 

自分について知れた

まず一つ目に、わたしがこんなにも人種差別や偏見が嫌いで関心も高いと知れたのは、今回の経験があったからです。

 

一枚目の画像を見せられて空気を読んで笑った時は、まさか自分が翌日までもやもやが続くほど、この問題への意識が強いと知りませんでした。

 

もともと国際交流や英語が好きで「色んな国の文化を学んで日本との違いを知るのが好き!」とは知ってたけど

 

その根底に、自分が「自分の中の偏見と戦って、いろんな国のいろんな文化を知って、その違いを面白いと学んで生きたい」って気持ちがあることには、初めて気づきました。

 

空気を読まずノーならノーと言う

それから二つ目は、これからは空気を読まずノーならノーと言おうと思えたこと。

 

こんなに引きずるくらいなら、一瞬の気まずさのほうを選ぶほうが、幸せです。

 

将来色んな国の人と関わる仕事がしたいと思ってるけど、そのときに今回のように自分が嫌だと思う考え方に合わせてしまうと、多分かなり消耗しそう。翌日まで引きづるくらいには。

 

だから、今回の学びを生かして、今後は絶対にノーと言おうと思います。「そういうの辞めなよ!」とまで言えなくてもいいけど「私は好きじゃないな。」とは言えるようになりたいです。

 

この気持ちを、将来の夢に活かしたい

三つ目は、今回の経験を今後の夢に活かしたいと思ったこと。

 

将来は、日本に住む人にも海外の多様な価値観を知ってほしいと思っていました。そういう活動がしたいと。

 

「働きすぎなくていいんだよ」「遊ぶのは悪いことじゃないよ」「人と同じじゃなくてももいいんだよ」と、私が影響を受けた考え方を、日本で生きづらさを感じている人たちに知って欲しいと思っていました。だって、知るだけで楽になれるから!

 

でも今回の経験を通して、それ以上に「外国人って一言で言うけど、みんな一人一人、違うんだよ」ということを伝えたいと思うようになりました。

 

○○人だから○○とか、○○教徒だから○○って考えてしまう人を、一人でも減らしたいなぁ〜

 

この考え方って、人間である以上完全になくなることはないし、こんなに意識してる私だって、まだ無くなってません。

 

でも、少しでもこんな考え方を薄めるお手伝いがしたい。かも。

 

真面目に仰々しくじゃないけど、ライトに、ポップに、そんなことをみんなが自然と知るような場所を、提供できる人に、なりたいなぁ。いつか。

 

 

やっと、これで、昨日からの罪悪感から逃れられるかもね!

 

おやすみなさい、